前編はこちら

10月28日、MELONDIAあざみ野で市民公開講座「善意の臓器提供意思を生かすために」が開催されました。

■脳死患者家族の思い「たとえ体の一部であっても生きて欲しい」

平元先生の講演の後、第二部は脳死患者のご家族のお話でした。

愛媛県から来られた稲田さんは、25年前にくも膜下出血で息子さんを亡くされました。映画監督を夢見て高校卒業後に上京した息子さんが突然倒れ、横浜総合病院へ搬送された時にはすでに脳のダメージは相当なものでした。「たとえ車椅子の生活になっても構わない。命が助かって夢を叶えてくれればいい。そのためには何でもする」── しかし7日目に脳死状態になって回復の見込みも望めなくなり、息子さんを見守る稲田さんの頭の中は真っ白になっていたそうです。

ところがふと、息子さんが高校時代に日本赤十字社の活動をしていたときの会話を思い出しました。講演で臓器移植の話を聞いてきた息子さんが「お母さん、一人の体で二人を救けられるんだって」と言い、「それはいいわね」と答えたのでした。「まだ21歳という若さで、すべてを灰にしたくない。息子の臓器を提供したら、たとえ体の一部であっても生きていてくれる」。稲田さんはご主人と次男に相談したところ二人とも賛成してくれ、先生に息子さんの臓器提供を申し出ました。

尿が出ず黄疸も出ていた状態の腎臓が、移植した翌日にはきちんと尿を作り出していたそうです。移植を受けた患者二人の手術が成功したと聞いて、稲田さんは良かったとほっとしたと同時に、これからも息子さんの体の一部が生きていけるという感慨深さがあったと当時を振り返ってくれました。

■脳死患者家族の思い「人生の長短はあれ息子はしっかり生きた」

もう一人の脳死患者家族、横浜市青葉区に住む橋本さんは、18年前に脳腫瘍で息子さんを亡くされました。16歳から20歳までの4年間、横浜総合病院の入退院を繰り返していましたが、明るくて楽天家の息子さんの周りにはいつもたくさんの友達がいて、病院でも人気者だったそうです。

橋本さんが息子さんと臓器提供について会話したのは、自宅で小渕恵三氏の逝去を伝えるニュースを一緒に見ていたときのこと。仕事でアメリカの西海岸へ行くことが多かった橋本さんは、以前からアメリカで取得した運転免許証で臓器提供の意思表示をしており、「アメリカで何かあったら、お父さんの臓器は誰か分からないけれどアメリカ人に移植されるんだ」と何気なく話したところ、息子さんが「それいいね」と言ったのだそうです。

それから半月後、激しい発作を起こして息子さんは緊急入院。それからの闘病生活は凄まじく、点滴の管は毎日増えていったそうです。そんな状況でも一言も愚痴や恨み言を言わなかった息子さんでしたが、一カ月後に脳死宣告。「脳死」が理解できない橋本さんに、平元先生は脳死の定義に代えて「生きることの意味」について話したそうです。人が生きるということは感動することであり、喜怒哀楽の感情を持つことだと。

これを聞いた橋本さんは、脳死状態にある息子さんの死を受け入れられるようになり、自分から先生に臓器提供を申し出ました。いま橋本さんは、「人生の長短はあれ息子はしっかり生きた。もう助からない状況の中で、本人がやりたいこと、すなわち臓器提供者にもなれた」と受け止めています。移植を受けた患者さんからの手紙には「息子さんの命日は、私の第二の誕生日です」と書かれてあったそうです。

お二人のお話に、総合司会の井上真帆氏をはじめ、会場には涙を流す人が多くいました。お二人とも決して声を荒らげず穏やかに話されましたが、当時のことを思い出して言葉に詰まるシーンもありました。お辛かったと思いますが、本当に貴重なお話でした。

■学生にも届いた現場の医師や脳死患者家族の思い

この講座には若い医療系学生の参加も多く参加していました。平元先生や脳死患者家族の話を、彼らはどのように聞いていたのでしょうか。第三部では彼らによるパネルディスカッションが行なわれました。横浜総合病院院内ドナーコーディネーターの高城さんをファシリテーターに、医師や看護師を目指す学生ら12人が登壇。率直な意見交換が行なわれました。

皆さん、臓器提供に関する授業はあってもこうして実際にご家族のお話を聞くのは初めてのことで、貴重な体験になったようです。死にかかわる場面では治療だけでなく家族に寄り添うことも大事だと感じた学生もいました。これから医療従事者として関わっていく上で大切なことを感じ取ったようです。臓器提供意思表示カードについても改めて考え、家族と話し合いたいと多くの学生が話していました。

臓器提供が国内で年間100件にも満たないことから、医療現場では移植のスペシャリストが育たないという課題もあります。この公開講座が少しでもそうした課題の解決につながればと思いました。

■自分らしい生き方で最期を迎えよう

会場入口には臓器提供の流れや意思表示の方法が説明されたパネルや、世界的な移植医療のシンボルであるグリーンリボンの緑色を使った手形アートなどが展示されていたほか、血圧測定の無料サービスも行なわれていました。また、第二部と第三部の間では、桐蔭学園女子部弦楽部の学生が登場。横浜総合病院でボランティア演奏を行なっているご縁で今回、演奏を披露してくれました。

平元先生は「ちっぽけな会ですが」とおっしゃっていましたが、こうした臓器提供の現場の声を直接聞く機会は非常に貴重と感じました。実際私も帰宅して、延命治療のことに始まり、生体肝移植のこと、海外渡航による移植のことなどについて話し合う機会を持ったことで、以前は私の意思に「賛成でも反対でもない」とはっきりしなかった家人が、私の意思を尊重する立場に変わりました。日曜日の昼下がりに臓器提供の講座。実は、家族で話し合うには絶好のタイミングでした(笑)。

橋本さんが「死について考えるということは、生きるということを考えること。表裏一体だ」と話されていたのが印象的です。自分が臨む生き方で最期を迎えたいし、それを家族にも理解してもらいたい。医師など専門の方々にも自分が納得のいく治療をしてもらいたい。そして、自分の選択を見ず知らずの人からどうのこうの言われたくはないし、言いたくもない。 ── 臓器提供したいという人がいれば、その意思を叶えてあげられる社会になって欲しいです。そのためにも、もっともっと多くの人が臓器提供について考える機会が増えればと思います。
  

前編はこちら

■家族の意を汲んだ臓器移植で
■医師が患者の最後にできることは
■善意の臓器提供を無駄にしないために
■自分の思いを家族や周囲に意思表示しておくこと
 

柏木 由美子

かしわぎゆみこ(編集長)
システムエンジニアを経て技術書籍や企業Webサイトの制作に従事。その後フリーランスに転向し、現在は兼業主婦としてIT企業を中心に取材・執筆を行う。地域活動として現在、通所介護(デイサービス)でのボランティアや、身近な自然をフィールドとしたイベントを企画運営する「かわもりあおば」、および定年退職後の地域参加をサポートする 「ボーイズクラブ」に参加。


スパイスアップの新着を通知する