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【アジャパ山の夕日はいつもオレンジ 05】山内中学校木造校舎 旧友曰く「レトロ館」

和田 良太

<はじめに>
横浜北部の今・昔を“昭和40年男”がパパ目線で書くお気楽コラム。
ママ目線とは違ったやんちゃなテーマもフォロー。決して「昔は良かった」の懐古一辺倒ではなく、古きがあってこそ今を楽しめる~といった感じの温故知新コラム。ヒトもクルマも増える中、田園都市と言われる由縁の片田舎的牧歌ムードの良さを伝えられればと思って、キーボードを叩き始めました。

Vol.5 山内中学校木造校舎 旧友曰く「レトロ館」

横浜市最北端に位置する青葉区(元・緑区、元々・港北区)は、昔から「海知らずの横浜」と言われたりしていて、海あってこその「横浜」という全国区レベルで知られるイメージとはかけ離れ、野山と丘に囲まれていた。昭和40年生まれの私が幼少の頃は、当時は斬新だったマンモス団地がある一方、ちょっと自転車で繰り出せば、寺家町ふるさと村のようなスポットがあたり前のようにあちこちにあって、「田園」あり「都市」っぽくもありという文字通り「田園都市」のはしりだった。

と、毎度こんな感じで地元・横浜北部の今・昔を書いているこのスロウコラムもシーズン2。今回は40年前、1978年頃の山内中学校の様子にフォーカス。

その当時、たまプラーザ周辺には、中学校は山内中学校しかなかったので、昭和40年生まれ世代が中学に進学する1978年には、元石川小学校、美しが丘小学校、山内小学校、荏田小学校、すすき野小学校などなど、近隣エリアの少年少女たちがいっぺんに山内中学校に進学することになり、新1年生のクラス数はなんと14という超マンモス中学校に。そんな大人数を受け入れるために、校庭には4クラス分のプレハブ校舎が増築された。メインの鉄筋校舎に7クラス、そのプレハブに4クラス。合わせて11クラスの新1年生の教室は分かったが、残る3クラスは? 

そう、それが今となっては大変珍しいと言われそうな木造の校舎(学校ではC校舎と呼ばれてました)。当時の1年8組、9組、10組の3クラスだけが、このレトロ感ハンパない校舎で1年間過ごすことになる(40年ぶりくらいで再会した旧友は「レトロ館」と呼んでいた)。

▲1979年3月 山内中学校1年10組の面々

初めて着るガクラン(詰め襟の制服)、ど根性ガエルのゴローちゃんが引きずっていたような白い布のカバン(最近では滅多にお目にかかれなくなった!)に胸を躍らせて、クラス割り発表の掲示を見て向かった先がこのオンボロ校舎なのだから、上がっていたテンションも一気に下り坂。この3クラスのみんなの気持ちは、「貧乏くじ引いた~」以外の何ものでもなかったと思う。

▲教室の中にエントツストーブ!

この手の校舎は、ご多分に漏れず怪談の舞台になっていて、3番目のトイレだけには入るな、だとか、廊下突き当たりの一番奥のドアを開けてはいけない、階段の13段目には何とやら~なんて話もすぐ1年生の耳にも入ってきた。

しかししかし。「アパッチ野球軍」(1971年放送のTVアニメ。70年代後半にかけて何度も再放送された)とかでしか見たことないような今風に言えばロハス的で野生味あふれる環境は、ついこの前まで小学生だったコドモの大好物でもある。

件の心霊スポットを恐がっていたのもつかの間、1カ月も経てば、廊下突き当りのそのドアを開けた先は、野山に囲まれた外階段の踊り場であることに気付き、いい感じに日向ぼっこができるので、弁当を食べた後の憩いのスポットとなってしまった。

▲これがその突き当りの写真。こんなところも撮っている13才

また、持ってきてはいけない“あんな物”や“こんな物”は、床板を剥がせば床下に隠せることを発見し、3学期になる頃には、屋根裏にも忍び込んで遊んだりするほど。今思い返せば、なんだかスタジオジブリの何某かの映画に出てきそうなムード満天だった。

▲50年生きてきて屋根裏に忍び込んだのはこの頃だけ

ただ、翌年には美しが丘中学校が開校するため、美しが丘エリア在住の約200人くらいの1年生はこの1年で山内中学校から転校することになる。私もその一人だった。だから、そのたった一年の限定感がよりこの校舎への思いを強めていったと思う。スマホや携帯がある今ならともかく、学校にカメラを持っていくことさえ忍びないような時代に、屋根裏や床下の写真を撮っているのだから記録に残したいという思いは相当強かったのだろう。

今、山内中学校の部活が諸々の大会で優勝したりすると、たまプラーザの駅に立派な垂れ幕が下がって祝福ムードになるけど、それを見る度に今の「やまちゅう」はどんな様子なんだろう?と思う今日この頃なのだ。

▲木造校舎のなごりゼロ。21世紀になってからの山内中学校

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わだりょうた
わだりょうた
GMTエディター&ライター(GMT=地元)
横浜市青葉区在住50年。22年の雑誌編集・Web編集の経験を地元に還元すべく編集・執筆などをサポート。地元の成長・発展・紆余曲折ぶり諸々を体感している事情通ゆえ、地元の未来についても関心高め。 また、このエリア育ちのロック偏差値が実は高い(持論!)ことにも注目している音楽好きでもある。
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