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【アジャパ山の夕日はいつもオレンジ 06】たまプラーザのモノリス2つ

和田 良太

<はじめに>
横浜北部の今・昔を“昭和40年男”がパパ目線で書くお気楽コラム。
ママ目線とは違ったやんちゃなテーマもフォロー。決して「昔は良かった」の懐古一辺倒ではなく、古きがあってこそ今を楽しめる~といった感じの温故知新コラム。ヒトもクルマも増える中、田園都市と言われる由縁の片田舎的牧歌ムードの良さを伝えられればと思って、キーボードを叩き始めました。

50年前からずっとそこにある給水塔2つ。
団地(たまプラーザ団地)のと郵政(郵政宿舎)のとでは、ずいぶんとその形状・スタイルが違うが、それぞれが独特の存在感を放ち続けている。郵政の方は変てこな形をしている上に同じ形のものが何ヵ所かにあるので存在感の“圧”は団地のよりも強い。

▲2017年1月現在の給水塔(たまプラーザ団地)

1968年、物心がつく前の2歳児だった頃から幼稚園生を経て小学生になって10才くらい(1975年頃)になるまでは特に何の感慨もなく、あたり前の風景の一部として受け入れていたんだろうけど、ふとしたことでその存在感がのしかかってきたのを覚えている。

遊んでいてもいつの間にか急激に日が暮れるような頃、陽の長さが短くなり始めた季節だった。郵政(宿舎)在住の友達の家から団地の自宅(美しが丘3丁目寄りの5ー9だったので郵政からは少々離れている)まで帰るとき、空が夕焼けからだんだんと濃紺に変わっていく中、足早に家路に向かっているとあの給水塔(郵政スタイルの方)が不気味に目の前に飛び込んできた。昭和40年生まれは、円谷プロの怪獣とともに幼少期を過ごしていることもあるせいか、夕焼けを背景に巨大な塊が目に飛び込んでくると、何ともいえないゾワゾワ~とした気分に襲われるのだ。

ただこの「ゾワゾワ感」は不気味ではあるがストレートな恐怖感とは違った。

▲2018年4月の写真。取り壊しも決まり立ち入りも制限されている。

実際に怪獣(のようなもの)を目にした場合、きっとこんな感じで見上げるんだろうなぁ、というそのリアルな感覚が、恐怖感とは別の興奮を産んだ気がするのだ。急いで帰らなきゃと思いつつもしばらくじっと見上げて、夕日とのコントラストを味わっていた。怖いながらもちょっとワクワクしていたのを覚えている。怪獣がいるかもしれない世界を一瞬現実のように感じることができたわけだ。

円谷プロのテレビ作品、とりわけ「ウルトラセブン」から「帰ってきたウルトラマン」までには、とても印象的な夕日のシーンが多い。意識してみると驚くほど夕日が出てくる。そんな刷り込みの影響もきっと強いのだろう。

▲こちらは2011年1月。怪獣に見えた1970年代の頃と何も変わっていない。

幼少の頃、祖母と団地の中を散歩したときに、あの中にはキリンが住んでいると言われたことをずっと印象深く覚えている。団地の給水塔には小さな小窓が並んでいるが、そこからキリンが顔を出しているイメージが私の脳内のキャッシュにしっかりと残っている。神戸の祖母が横浜まで訪ねて来た頃の話だからまだ3歳くらいの頃の貴重な記憶だ。

ただ、大学生になる頃に自分で気づいたのだが、祖母はあの給水塔を見て「キリンのように長い首ねぇ~」とか何とか言ったのだろう。でも、あの巨大さとキリンは3歳くらいでは結びつかなかった。で、あの中にキリンが住んでいるという妙なエピソードになってしまった。なんと間抜けな(笑)。

▲ちょうど10年前、2008年6月。100段階段(※)からの眺め。変わらぬ姿でたたたずむ給水塔

中学くらいになるといろいろな知識や雑学と結びついて、給水のための塔という本来の役割以外の巨大なコンクリートの塊という存在感だけがさらに浮き彫りになっていく。シンプルな立方体の団地の給水塔は、キューブリックとアーサーCクラークの「2001年宇宙の旅」のモノリス。そして、郵政の方は、レッド・ツェッペリンのアルバム『プレゼンス』のアートワークに出てくるオベリスクだ。

美しが丘在住の少年がそんなことを考えていたのが1979年頃。その時からさらに40年ほどの時間が経過しているという事実に改めて驚かされるが、そんなことはお構いなしに給水塔はじっと同じようにたたずんで街を見下ろしている。

今、団地は修繕工事がはじまったようで、足場が組まれたりしている。そして、郵政の方はいよいよ取り壊しの準備もはじまり、敷地内の立ち入りも制限されてしまった。

50年も住んでいれば、なじみの店がなくなったり、お気に入りのスポットが形を変えてしまったりという事はいくつもあるので、そうそう動じなくなってきたが、この給水塔がなくなってしまうというのは少し堪える。それに、郵政の方が先になくなって団地の方が取り残されてしまうというのもなんだか少し切ないのだ。

▲ちなみに10年前のたまプラーザ駅はこんな感じでした。

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わだりょうた
わだりょうた
GMTエディター&ライター(GMT=地元)
横浜市青葉区在住50年。22年の雑誌編集・Web編集の経験を地元に還元すべく編集・執筆などをサポート。地元の成長・発展・紆余曲折ぶり諸々を体感している事情通ゆえ、地元の未来についても関心高め。 また、このエリア育ちのロック偏差値が実は高い(持論!)ことにも注目している音楽好きでもある。
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