【発達障害コラム:少しの想像 03】それはまるで壊れたロボットのよう…。
私は横浜市青葉区で発達に課題を抱えている人たちのための 学習センター を運営しています。[開く]
「僕は、まるで壊れたロボットの中にいて、操縦に困っている人のようなのです」
これは東田直樹さんの著作『跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること』(イースト・プレス)からの引用です。
私の教室に通ってくる生徒さんの中には、
- 自分の手足や背中などの“ありか”が分からない
- 右半身と左半身の違いが分からない、あるいは身体の真ん中に壁があるように左右が分断している
- 物と物、または自分と物との距離感がつかめない
- 力を加減するのが苦手
- 運動をするうえで重要な聴覚、視覚、触覚の機能が過敏、あるいは逆に鈍感
- 手足が器用に動かせない、または協調して動かせない
- 身のこなしがぎこちない
といった、一言で言うと「身体をうまく使えていない」人がいます。
「身体をうまく使う」ということは、手足など自分の身体の感覚や、どのタイミングでどの筋肉をどのくらいの時間動かし続けるか、そしてその強さは…、といったことを瞬時に判断して行動したり、その機能を学習・習得したりすることです。
そしてそれらの習得のためには、
- 固有受容覚(筋肉や関節内で感じる身体の位置や動きの感覚)
- 前庭覚(姿勢やバランスを保ち、重力に反応する感覚)
- 触覚(皮膚への刺激を感知し、身体の輪郭などの情報を得るための感覚)
が重要だと言われています。
何らかの事情で、これらの感覚や感覚を統合する機能にアンバランスが生じると、身体イメージや身体図式(※)が分からない、姿勢の保持が困難、運動の調整ができないなどの不具合が起こり、結果的に「身体がうまく使えない」と考えられています。
※身体図式:ボディシェマ。身体のどこに何があるかが分かる脳内の身体の地図のようなもの
別の例を挙げてみます。
私の教室では生徒さんに水を持参してもらいますが、水を飲むたびに水筒を机の上に「バン!」と乱暴に置く生徒さんがいます。お母さんから「もっと丁寧に置きなさい!」とか「もっとそっと置きなさい!」と言われるのですが、恐らく前述の「固有受容覚」がうまく働いていないために、「丁寧に」置くとはどういうことなのか、どうすれば「そっと」置けるのかが、実感として分からないので、何度注意されても同じことを繰り返してしまうのかもしれません。
また、本人はちゃんとしているつもりでもだらけているように見えてしまう生徒さんもいます。前述の「前庭覚」に不都合があると、重力に対して身体の軸を維持・調整することが難しく、姿勢が崩れやすくなる、転びやすい、すぐに寝転がる、動作にメリハリがなくだらけているように見える、といったことが起こります。
さて、こうした子供たちにとって、きっと大変だろうなと容易に想像できるのが、学校での体育の授業です。
例えば跳び箱は、助走、踏み切り、跳び箱に手を着く、開脚、両腕で支えバランスをとる、腕で押す、着地といったさまざまな運動要素を連続して統合する必要があるからです。
さらに、体育だけではなく国語や算数の授業中にも身体を使います。
たとえば具体的に例を挙げると、
- 椅子に座る→身体を支える筋肉、平衡感覚や位置関係情報の入力
- 黒板を見る→両目の協調、目と手の協応、体幹の安定
- 鉛筆で書く→姿勢の保持(特に体幹と頭の安定)、肩のまわりの筋肉の強さと首のリラクゼーション、指の強さと器用さ、空間認識力と正中線を横切るスキル、目と手の協応
- ハサミを使う→書くことに加えて分離的な指の動き(親指、人差し指、中指は動かし、他の2本の指は曲げた状態で固定
- 定規で線を引く→書く能力に加えて、左右の手の動きの協調と力の入れ方のバランス
- コンパスで丸を描く→書く能力に加えて、手首をそらして保持するのと同時に指先の微細な動き
- リコーダーを吹く→腕の保持力、指先の力の入れ方(固有受容覚が重要)、各指を分離して動かす、口のまわりの筋力、視覚、聴覚
などなど。
このように、楽にストレスなく学習するためには、さまざまな運動能力の要素とその統合がスムーズにできることが重要なのです。
そのため、発達障害のある子供たちの支援には、身体面からのアプローチも重要です。私の教室では固有受容覚や前庭覚・触覚、さらには視覚機能、聴覚の機能など、運動を遂行・調整ために必要な感覚を発達させるためのエクササイズも導入しています。
跳び箱が飛べたとか、上手にコンパスで円が描けた、リズムに合わせてリコーダーが吹けた、九九がスラスラ言えた、正確に漢字を憶えそれを上手に書けたなど、全身や五感で感じる「できた」感や「身体を使って自信を持つ」経験は、日常生活に不可欠なばかりではなく、将来の発達・成長に必須な要素であると考えています。