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【アジャパ山の夕日はいつもオレンジ(Season 3)- Vol.10】ついに取り壊し作業開始、さらばユーセー

和田 良太

<はじめに>
うかうかしていたらコロナなんてものが出てきて世界中をお騒がせ。ディスタンスを取りつつ第2波を警戒しながらの不定期連載第10回目。
書き手(および撮り手)は昭和40年、1965年生まれ。ジム・ジャームッシュのひと回り下、奥田民生とタメ歳の巳年男です。

Vol.10 ついに取り壊し作業開始、さらばユーセー

▲ついに郵政宿舎の取り壊し作業が開始(2020年7月)

そうか。ここ数年の間、美しが丘小学校の生徒に“ユーセー”の人はいないってことか。。。

美しが丘という町が誕生して人々の生活が町を中心に動き始めた黎明期1970年代頃、美しが丘小学校に通っていたのは、8割ほどがダンチ住人(たまプラーザ団地)とユーセー住人(郵政宿舎)で、残りの2割が一軒家かそれ以外の集合住宅の人たちだった(個人の見解)。

だから学校内の流行や文化は、ダンチ・ユーセーの住人たちの生活スタンスに引っ張られて生まれていったという気がしなくもない。2つのマンモス団地のコドモたちの感覚によって当時の校内トレンドが形成されていった。

で、時には派閥的に意見が別れることも少なくなかった。というか自然にコドモの間でダンチVSユーセーの構図が生まれていった(あくまで個人的見解)。

それを端的に象徴するのが少年野球のリトルリーグ。ダンチの集会所でミーティングをしていた白いキャップのレディアンツと、ユーセーに住んでいる人が多かった紺に赤いつばのキャップのスネークスという図式だ(しつこいようだが筆者小4くらいの1974年頃の主観!)。

▲40年経っても練習中の眺めは変わっていない(2008年6月)

団地と郵政(宿舎)のちょうど間にグランドがあったのもなんだか象徴的で、何かと対立していた気がしなくもない。いや、対立というか、ユーセー的、ダンチ的というような、ものの見方をしていた気もする。学校にはチームの帽子をかぶっていく者もたくさんいたので、その勢力図も分かりやすかった。

▲春や夏はお祭りでおなじみの美しが丘公園のグラウンド(2015年3月)

グラウンドの交差点トコのガソリンスタンドからバス通りに沿って駅に向かって、昔は自転車屋、駄菓子屋、ケーキ屋、文房具屋、ジーパン屋なんかが並んでいて、ことぶきという名前の駄菓子屋は練習後の溜まり場。スネークスの連中はベビースターをつまみに、コカ・コーラでもペプシでもないコーラをよく飲んでいた。スネークスはわざとゲップを出すのがうまい人が多かったのは、たぶんこの「ちびっこコーラ」(という名前だった気がする)のせいだろうとレディアンツ勢は思っていたものだ。

▲ダンチ越しのユーセー。シャープの看板在りし頃(2004年10月)

朝練でダンチからグラウンドのある方へ向かうとき、冬場ならユーセー越しに見える朝焼けがとてもキレイで、コドモ心に「景色ひとつで気分がアガる」ことを感じたりしたものだ。それにこの時代だと朝早く外に出ると、東名高速道路を走る遠くのクルマの「ふわぁーーん」という不思議な音が聞こえたりしていた。クルマ所有率が今とは全然違う時代、我が家にもクルマがなかったのでこの音が高速を走っているクルマの音だということは、実はもっとオトナになってから知った。

▲取り壊しの日を待っている(2019年3月)

さらに過去に遡るけど、初めて小学校に入って突然友達がたくさんできた時のことを振り返ると、それまでダンチ中心だった行動範囲が一気にユーセーまで広がったことは、革命的な出来事でもあった。

ユーセーの中に入ったときの、ダンチとは似て非なる居住空間群も新鮮で、特に大きな違いは各家庭の玄関が横に並んでいる作り(今となってはこっちがスタンダードかもしれないケド)。そして何よりも刺激的だったのは、それぞれの棟を空中渡り廊下で繋いでいる構造。ダンチ的に言えば5-9と5-8が空中で繋がっているようなものだ。ドロケイだか鬼ごっこだか、それともイタズラが見つかってオトナに追いかけられたのか?ハッキリ覚えていないがやたらと全速力で駆け廻ってばかりいた気がする。その時のパタパタとした足音もやけに脳裏に残っている。

▲洗濯物在りし日のユーセー(2008年12月)

ちなみにそんな様子は「帰ってきたウルトラマン」の第48話「地球頂きます」に残っている。ユーセーに住んでいる少年が主人公のエピソードで、百段階段、太鼓橋なども映っている。確か、出来たばかりのロケット公園(現・ロケットハウス美しが丘公園)にロケを見に行ったことはよく覚えている。ほくろだらけの少年がロケット公園のロケットの頂上で何度も同じセリフを言わされていたり、警備隊(正式にはMATといいます)のヘルメットがやけにボロボロだったりして、とても不思議な気分だったのだ。

物語の中では、その少年がユーセーの廊下を走り回っていたりして、今見るとホント自分たちのようでなんだか感慨深いのである。

▲解体作業が続く(2020年6月)

今、ユーセーにはひとっこひとり住んでいない。

2017年に取り壊しが発表され、今年の6月に取り壊しの作業が始まってしまった。
友達がたくさん住んでいたことを思うと切なさマックスだ。

休日には取り壊しの様子を写真に残そうと立派なカメラ持って訪れる方々も見かけるようになった。みんなそれぞれの想いを巡らせて写真撮っているのだろうなぁ。。。
そうそう、ユーセーの裏山にはホタルがいっぱい飛んでいたことも今は良き思い出だ。

▲あの給水塔!

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わだりょうた
わだりょうた
GMTエディター&ライター(GMT=地元)
横浜市青葉区在住50年。22年の雑誌編集・Web編集の経験を地元に還元すべく編集・執筆などをサポート。地元の成長・発展・紆余曲折ぶり諸々を体感している事情通ゆえ、地元の未来についても関心高め。 また、このエリア育ちのロック偏差値が実は高い(持論!)ことにも注目している音楽好きでもある。
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