【人物図鑑 09】青木一明さん – 脊椎に手の力が届く療術師。
青葉台駅から徒歩10分ほどのしらとり台にある療術院。今回ご登場いただくのは、「アミューバレエスタジオ」を主宰する舞踊家の丸岡浩さんからのご紹介で、田園都市長生館の代表の青木一明(あおきかずあき)さんです。
建物の入口はちょっと奥まっていて、秘密基地に入るような雰囲気ですが、待合室にはゆったりとしたソファがあり、FMラジオが静かに流れるリラックスした空間でお話を伺いました。
◆拳の力
まず目に飛び込んできたのは、フッと組まれた手指の第2関節にシワがないことでした。拳を作ると骨張った関節が出るはずですが、青木さんの関節は丸く盛り上がっています。
一切道具を用いず、手技療法で行なわれる「長生療術」。青木さんの両手は、背骨の曲がりを治すことで脊椎の矯正を行ない、体を整えて正常に戻していく力を持っています。脳神経は背骨につながっていて、神経孔の異常を見つけて整えると、体は前後左右の筋肉のバランスを正常に戻していけるのだそうです。
施術を受けている舞踊家の丸山さんは、「辛かった身体の痛みを何度も青木さんの拳に救われ、舞台に立つことができた」と話してくださいました。筋肉に囲まれ体の中心部にある背骨の異常を探り、確実にそこに効いていく手技とは、どのようにして身に付けたものなのでしょうか?
◆師から受け継いできた技術への信頼と決意
ご出身の長野県塩尻市でサッカーに打ち込んでいた高校一年生の時、青木さんは整形外科を受診しても治癒しなかった捻挫の治療先を探していました。「諏訪長生館」丸茂眞(まるもまこと)先生の評判を聞いた青木さんのお父様と一緒に同館を訪ね、治療を受けました。
丸茂先生のお人柄に触れると同時に、長生療術の高い治癒力を実感した青木さん。自営でお仕事をなさっていたお父様の勧めもあり、手に職をつけ、自分の技術で仕事をしたいと考え、丸茂先生の内弟子として諏訪一門会への入門を決断します。
住み込みで、炊事洗濯、清掃などを含め、師の側に一日中ついて生活の全てを学び、技術を習得していきます。
若い時ですから、お友達と遊ぶ時間が欲しくありませんでしたか?
「毎日、やめようと思って荷物をまとめていました(笑)」
寝る直前まで、師から学ぶ技術。膨大な情報量・技術量に違いありません。25歳までの7年間に渡り、師と、そこに来院する方々の中に身を置く修行を経て国家資格を取得、諏訪本院の他に、相撲やプロ野球、オリンピックなどのトップアスリートが多数来院する飯田橋や六本木の分院でも仕事をするようになっていました。
独立準備を始めた頃、当時千葉ロッテマリーンズの初代GMに就任していた広岡達朗氏の勧めもあって町田・横浜近隣で物件を探し、26歳になっていた1994年、青葉台に「田園都市長生館」を開院しました。それから今年で23年。お父様の教えをきっかけに、師から受け継いだ療術で、地域の皆さんの体の痛みを和らげています。
「顔立ちと同じように、骨格の遺伝も多くあります。ご家族ぐるみの来院の場合、骨格の特徴を捉えることが可能になり、より深い施術ができることがいいですね」。2~3世代に渡って、家族医を受診するように長生館を来院され、ますます安心と信頼が積み重なっていく。継続することでさらに高まる効果があるのですね。田園都市長生館は、インターネットにも紙媒体にも広告がありません。来院した方を治す、ただそれだけです、といった口ぶりで話す青木さんから感じたのは、仕事に対する着実であり、ひたむきな姿勢でした。施術に入るとほとんど無言で、じっくりと痛みを共有する30〜60分の時間は濃密に違いありません。
◆もう一つ乗り越える・進むためにぶつかっていく
それにしても、長い修行期間を経て就く、とても大変な職業なのではないかと感じます。どのようなご努力があってその厳しさを乗り越えていくのでしょうか?柔和でありながら、ストイックに鍛え上げられた雰囲気の青木さんに、この連載で恒例の、若い方へのメッセージをお願いしました。
「一つのことを続けていくことで分かることがあります。何かの壁にぶつかったとき、すぐに『もういいや』と諦めるのではなく、もう一つ乗り越える、進んでいくためにぶつかっていくことですね。私の場合、助言してくれる人がいたことが良かったと思います。色々な人から話を聴き、色々な意見を聴き、そうして今度は自分を外から見てみると、それぞれを消化して答えを出すことができています」。
師と生活を共にして学んだことや、ありとあらゆる身体からの声を手で受け止め、身体と対話していくことで重ねてきた経験。「ありがとう」「おかげさまで」、この気持ちを持って多くの人の意見や考えに耳を傾け、「続けてみよう」と考えることが大切と話してくださいました。
来院される方が気付いていない原因を探りアプローチしていく。決して言葉数は多くない青木さんですが、会話は柔らかく、言葉をしっかりと受け止めてくださる安心感と懐の深さがあります。痛みや改善すべき点に、共に寄り添う力です。
「最近は療術もソフトな傾向が流行っているのですが、ウチはハードです」と笑顔でクッと両手を組み、拳を作るお姿が印象的でした。
◆野球と日本酒がつなぐ縁
「小学生で野球、中学高校とサッカー、いい仲間とプレーをしました」と青木さん。ゴルフ、サーフィン、スキー、様々なスポーツをなさいますが、3年前、つつじヶ丘にある「居酒屋 八郎右ヱ門」(人物図鑑07にご登場いただいた、上谷 さんが店長のお店です)に集うメンバーの一人として、地元の野球チーム「青葉台恋唄軟式野球倶楽部」に参加、主に青葉台地区でプレーされています。
お酒もお好きだそうで、八郎右ヱ門を会場に全国の美味しい日本酒を皆で楽しみ、お客さん同士の親交が深まる「日本酒の会」の発起人でもあります。奥様との出会いもこの八郎右ヱ門で、昨年には父親となられた青木さん。この地域に根ざし、体を整える頼もしい療術師としての役割を担っています。
手技の力が信頼と実績を作り、体の中心に、はかり知れない手の力が届く長生療術師が、青葉台にいます。
田園都市長生館 横浜市青葉区しらとり台2-2 グリーンビル1F 045-984-2752 |
(この記事内の数値データ、組織名、役職名、製品・サービス内容等は、取材時の情報です。)