<はじめに>

みなさん、「ダウン症」ってご存知でしょうか。なんとなく顔つきが似ていて、知能の発達が通常ではないな、というのが多くのイメージではないでしょうか。

かく言う僕も、“あや”の親となるまではその程度の認識でした。正式には「ダウン症候群」。医学的には、「体細胞の21番目の染色体が通常は2本であるところ1本多く計3本になる染色体異常である先天性疾患」です。ダウン症の多くの人が持つ同じ特徴はあるものの、医学的説明としてはこの1文だけなのです。

だからダウン症と診断されても、それだけで障害者ということではないのです。「ダウン症だからこの人はこうだ」と決まっていることはないのです。この染色体異常が原因で、様々な症状が起きたり、様々な特徴につながったりします。僕は、今はこれら全てを個性だと思っています。ダウン症の人を見ても、一人ひとりが全く、外見も性格も、成長度合いも違います。

現在は障害者福祉も進み、色々な場面で障害者手当てやバリアフリー施設、福祉サービスなどがあり、本当に助かっています。ただ、ダウン症って先ほどの通り、様々な特徴、症状があるので、「あー、こういう助けがあるとうれしいな、助かるな」ということがたくさんあります。

スパイスアップの場を借りて、実際にあやに起きたこと、我が家に起きたことを通して、障害者、そしてその家族が本当に期待したい支援、必要な支援について、5回に分けて書いていきます。

第1章 あや誕生

ダウン症ってどのように告知されるのでしょうか。出産前のエコーである程度の可能性が見えた時点で告知される場合もあれば、出産時、あるいはしばらく日を置いてからの場合もあるようで、先生の考えによるようです。“あや”の場合は、出産後しばらくしてからでした。──

我が家に待望の第二子あやが誕生したのは、今から12年前のある日曜日。僕は前日のゴルフで疲れもあってか、ゆっくりと寝坊していたところ、妻“雪枝”の「陣痛、始まった」の声で飛び起きて、通っていた区内の産婦人科へ駆け込みました。その後は、ベテランの先生に淡々と、そして整然と、取り上げてもらいました。

長女の時もそうでしたが、出産の時は立ち会おうと思うも、しかし父親はやはり無力で、ただあたふたとするばかり。そんなドタバタな中で、あやとご対面。

「えっ?!」

誕生の喜びとともに、漠然とした不安が自分を駆け巡りました。

その病院では、産後は親子別室。産まれたばかりの赤ちゃんたちは、外から父親や家族が見られるように、ガラス張りの大きな窓の下に並んだベッドで過ごします。その中であやは、他の赤ちゃんたちとやはり何か違うなという印象。みんなひっきりなしに泣いているのに、あやだけは、目をほとんど開けることなく寝ているのです。大丈夫かと心配になるくらい。

友人がお祝いに駆けつけてくれても、「みんなどう思っているのだろう」という気持ちのほうが強く、それからは仕事中も不安の方が大きくなり、色々と調べました。当然、ダウン症についても。

そうこうして2週間ほど経ったある日、会議中に妻から電話。「先生が『話があるから今日病院に来て欲しい』」という。「とうとう来たか」と思った瞬間から病院の待合室へ着くまで、僕の頭の中は真っ白で、何も覚えていません。

しばらく待たされた後、妻と診察室へ入ると、先生から「お嬢さんはダウン症です」との告知。その瞬間は何時間にも感じられ、まさに茫然自失。看護師さんから「お父さん大丈夫?」と言われる始末。妻の方が大変なのに、ある程度は覚悟していたのに、そんな状態になってしまいました。妻も、「明日どんな顔であやに会えば……」としばらくは放心していましたが、看護師さんから普通に「明日は何時に搾乳した母乳を持ってきますか?」と言われて我に返ったようです。

その時の僕たちは、まだ知識があまりなかったので、あやに“申し訳ない”と感じ、これから来る人生を勝手に決めつけてしまっていた気がします。あやはこれから、夢と希望にあふれた人生を歩み始めるのに。

それからしばらくの日々は、「これからどうなる?」「そもそもダウン症ってどんな?」「まずどうすれば?」「役所でなにか教えてくれるの?」などなど、疑問形な毎日でした。いや、過去形ではなく、今も日々疑問形は続いていますけれど(笑)。これから先の悪戦苦闘の日々は、また次回ご紹介します。

僕の思うこと。あやの思うこと。

あやは現在11歳。生まれてしばらくは寝てばっかりで目もあまり開けず、僕たちは心配しどおしでしたが、今思えば、その時に戻ってほしいと思うくらい元気いっぱいで、まさに普通の子、いや時により、普通の子以上に元気です。

ダウン症のお子さんを授かったご家庭は、最初は途方にくれ、しばらくは受け入れられない方も多いようです(もちろん、そうではない方も、すぐに前向きになれる方、長くかかる方もいると思いますが……)。僕は、受け入れてからは「なんでダウン症なんだ?」なんて悩んだ自分が腹立たしくもなり、今は「無駄な時間を使ってしまった」と思います。そんなダウン症児のパパ、ママも多いのでは?

あやは、おなかの中にいる時から、生きていく努力、生まれてからの準備をしていました。パパもママも、同じく努力、準備をしなければなりません。生まれた瞬間から、「よーい、スタート」(これはあやの口癖)を“全員”で切りたいのです。

産婦人科の先生にも色々なお考えがあると思いますが、ぜひ可能性が見えた段階で告知していただき、一日も早くパパ、ママが準備する時間をもらいたいなと。何よりもあやが、「“自分”を分かってくれている家族に迎え入れられたい、一緒にいたい」と思っているはずなので。

ダウン症以外のハンディキャップのある子も同じだと思いますが、ハンディキャップがあるだけで、本人は全く健常の子と変わらなく生きていこうという意思を持っています。現にうちでは最近、姉(中2)のほうが第?時反抗期で、手を焼いています(笑)。

次回からもあやの成長と、周囲のみなさんの温かい支援がこんなに助かっているのですというようなことを書かせてもらいます。それでは!
 

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松波 直樹

松波 直樹

まつなみなおき(ライター) S44年12月生まれの47歳。出身は東京都国立市。現在、妻・長女(中2)・次女(小6)の4人で横浜市青葉区に在住。都内大学を出て、保険会社に入社し、埼玉、千葉、仙台、東京と転勤し、現在は横浜の支店に勤務。学生時代はラグビーや競技スキーをしていたものの、仕事の忙しさを言い訳に、社会人になってからはだいぶ不健康人間に。ロンドン五輪で村田選手が金メダルを獲ったことに感動して、ジムで週1回キックボクシングを始めて、気分はなんちゃってボクサーになっています。

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