アジャパ山の夕日はいつもオレンジ

【アジャパ山の夕日はいつもオレンジ 01】たまプラ駅前のBON DANCE AREA

<はじめに>
横浜北部の今・昔を“昭和40年男”がパパ目線で書くお気楽コラム。
ママ目線とは違ったやんちゃなテーマもフォロー。決して「昔は良かった」の懐古一辺倒ではなく、古きがあってこそ今を楽しめる~といった感じの温故知新コラム。ヒトもクルマも増える中、田園都市と言われる由縁の片田舎的牧歌ムードの良さを伝えられればと思って、キーボードを叩き始めました。

Vol.1 たまプラ駅前のBON DANCE AREA

でき立てホヤホヤのたまプラーザ団地に東京・中野から引っ越してきたのは、1965年生まれの私がまだ2歳の頃なので、あまり記憶がない。ただ、映像記録(写真記録ではなく!)として残っていて、その後、何度も見ることになる「ウルトラセブン」の43話や47話は、その頃のたまプラーザが舞台なので、いろいろと当時の様子がうかがえて面白い。随分と大人になってから知るのだが、おむつ姿の同級生が映りこんでいたりして笑わせてもらった。

▲1968年 たまプラーザ団地(5-9や4-8)を見下ろす山があった頃。

幼稚園に入る1970年頃には、駅前(!)で毎年盆踊り大会が開催され、回を重ねるごとに街の風物詩として定着していった。団地誕生によって、同じような核家族がたくさんこの地に住みだして、いい意味での巨大な長屋文化が生まれていく。夕方、豆腐屋さんのラッパが聞こえれば、ママさんやおつかいのコドモたちがボウルを持って集まったりする感じ。そして、一大フェス「盆踊り」があればみんながみんな浮き足だって会場へ向かっていく。団地から駅までの一本道は、浴衣を着た人で溢れていたものだ。たぶん当時同じような境遇の方なら、実家なんかに仮面ライダーのお面を頭に載せたり、綿菓子を顔いっぱいにほお張って浴衣を着て団地の中を歩いている写真が1枚や2枚あったりするのではないだろうか。

ところで、当時を知らない方々は、そもそも「駅前で盆踊り?」と、思うかもしれない。

実はその頃は、駅の北側の東急SCもイトーヨーカドーもなくて、空き地と小山だったのだ。って、小山っていうのもまた驚くかもしれないけれど、大きな木が茂りつつも半分は土がむき出しのかたまりみたいな場所。つまり、今あるイトーヨーカドーの駅側の入り口は1階だけれど、生協側は2階になっていることから分かるように、イトーヨーカドーはそんな山の傾斜部分に建てられたのだ(そういえば、この小山の中に1軒だけ謎の空き家があったことを、これを書いている今、思い出した!これはこれでまた別の機会に~)。

そして、駅の正面にある東急SCがあったところはというと、がらんとしていて、何もなく舗装もされていない空き地だった。砂利と雑草、そして春になると毛虫がびっしりなのでコドモたちに嫌われていた白樺が、駅に向かって両サイドに植えられていた。ん?両サイドに~ってことは雑然とした空き地というよりは、少しはデザインの手も加わっていたのかもしれない。ちなみにそんな砂利道を電車通勤の団地のパパたちは、毎朝足音をジャリジャリいわせながら、駅へ向かっていたわけだが、年に一度、ここが盆踊りの会場となって賑わっていたのである。

▲1970年頃(左)と日生社宅取り壊し前の2009年(右) ともに団地から駅までをつなぐ橋の上。

もちろん団地住まいだけでなく、もう1つのマンモス居住エリアの郵政宿舎からの家族はもちろん、各方面から人が集まってお祭りは盛り上がっていた。ただ、規模は今に比べたらかわいいものだったに違いない。 まさにたまプラーザの幼年期。 それに現在のように、地域の人たちの手で~というところまで至っていない時代だから、 出店や屋台もきっと本格的なその筋(?)の方々によるものだったと思う。「だから~」と言ってしまっては何だけれど、ジャンクにオイシイ焼きそばやたこ焼き。そして、絶対に1等なんて出ない(出なさそうな?)くじ引き、セルロイドのお面や水ヨーヨーなどなど。コドモ達は小銭片手にそれはそれで楽しんでいた。

そして、そんなコドモ達が親には内緒でもう1つ楽しみにしていたことがあるので、初告白。

それは、翌日にその空き地に行って、落ちている小銭を宝探しのごとく探しに行っていたことだ。ちなみに、闇雲に探してもダメ。ちゃんとどの屋台がどこにあったのかを気にして、コドモに人気のあったヨーヨー釣りや、くじ引きのあったところを丁寧に探せば大抵はビンゴだった。

日生社宅の跡地に建つドレッセWISEたまプラーザの工事を見ていて、ついそんな頃を思い出していた。


 

こんな感じで、青葉区の北端周辺の昔と今をちょっとずつ書いておこうかな、って思っています。ちなみにタイトルの「アジャパ山」というのは、まだあざみ野には駅もなかった筆者小学生当時、今で言う嶮山辺りまで、カブトムシやらヘビを捕まえに探検していた里山のことで、極一部の間でしか通じない通称です。

バックナンバー

ABOUT ME
和田 良太
わだりょうた(GMTエディター&ライター(GMT=地元))横浜市青葉区在住50年。22年の雑誌編集・Web編集の経験を地元に還元すべく編集・執筆などをサポート。地元の成長・発展・紆余曲折ぶり諸々を体感している事情通ゆえ、地元の未来についても関心高め。 また、このエリア育ちのロック偏差値が実は高い(持論!)ことにも注目している音楽好きでもある。