アジャパ山の夕日はいつもオレンジ

【アジャパ山の夕日はいつもオレンジ 07】長屋感覚 団地イズム 育ちあい

<はじめに>
横浜北部の今・昔を“昭和40年男”がパパ目線で書くお気楽コラム。
ママ目線とは違ったやんちゃなテーマもフォロー。決して「昔は良かった」の懐古一辺倒ではなく、古きがあってこそ今を楽しめる~といった感じの温故知新コラム。ヒトもクルマも増える中、田園都市と言われる由縁の片田舎的牧歌ムードの良さを伝えられればと思って、キーボードを叩き始めました。

Vol.7 長屋感覚 団地イズム 育ちあい

昭和40年生まれ。たまプラ育ち。
そう、たまプラーザ団地1期生の大人たちのコドモである。出来立てホヤホヤの団地に引っ越してきた昭和43年(1968年)の春()は、12月生まれの自分はまだ2歳。住んでいた5-9棟のベランダからは右手に山が見えた(参考:コラム Vo.1)。

あれから50年。思い返せば高校生になる頃に隣町に引っ越して、大学生になり、社会人になり、家を出て、そして自分にも家族が出来て、コドモを育てて、そのコドモが成人して……、何だかいろいろと一巡した感があって、今、たまプラーザ団地の頃がシミジミと懐かしくもあり、また、当時の感覚を改めて大切にしていきたいと感じるようになった(年取っただけか?)。

▲2016年9月 たまプラーザ団地5-1。50年前との違いはダストシュートの色くらいか。全部白になっている

団地というのは、自分が寝ている数メートル先の上にも下にも右にも左にも他の家族がいる集合住宅が、これまた同じデザインで何十棟も隣接して並んでいて(ウチは1階の端っこだったので、下と片側がなくその半分だったわけですが……)、よく言うような「ご近所さんに醤油を借りに行ける距離感」でみんな文句も言わず平々凡々と生活していた。あんまり昔を美化して語るのは好きではないが、何だか大切なものがその当時に置き去りにされている感じがしなくもない。

▲1975年頃。父親(1927-2008)もここから撮っていたとは!ダストシュートの縦のラインがこげ茶色だったことが確認できる。(参考:コラム Vol.6

夕方、豆腐屋が団地の中をプゥ~パァ~ってラッパ鳴らしながらゆっくりライトバンを走らせていると、団地からボウルを持って母親だったりお使いのコドモだったりがゾロゾロ出てくる。遊んでいる最中の小学生は、意味もなくその豆腐屋さんのゆっくり走るクルマを全力で走って追い抜かしてご満悦な笑顔を見せていたりして、豆腐屋さんは豆腐屋さんで「また、こいつか」といった表情で「危ないよ!」なんて面倒くさそうに叱りつけてる。

▲1970年 団地の日常。5-9の前の通り。後ろに写っているのは6-5

ご近所さんとのほど良い加減の距離感で過ごせるあの頃の団地ならではのムードは、まさに昔の長屋感覚と同じなのだろう。干渉しすぎるのは今も昔もNGだろうけれど、まったくスルーというのもドライ過ぎていただけない。なんとなくご近所同士が寄り添っていて、近所のコドモがイタズラしていたら周りの大人が躊躇なく叱れるあの当時の空気というのは今こそ必要な気もする。

昔は団地には棟ごとに焼却炉があって、稼働中にもコドモたちがそこに近づいて、発砲スチロールを燃やすとスゲェ臭いんだ、とか変なことを自力で学んでしまうくらい危険な状態とコドモの生活圏が隣接していた。それだけイタズラしやすい環境だったから大人たちも叱らざるを得なかったのかもしれないけど。

ただ、その一方で、何にも悪いことをしていないのにやたら怒鳴り散らしてくる謎のオジサンもいた。コドモたちからは「コラ爺い」なんて呼ばれていたが、これはまた別。「怒る」と「叱る」の違いもこの当時になんとなく学んだような気がする。

▲たまプラーザ駅の片隅。大規模工事中の様子と猫2匹(2008年6月)

11月11日に団地周辺で 「ダダンチダンチ」というイベントが行われるそうで、その練習も佳境に入っているようだ。「まちと人、人と人をつなぐ」という思いで立ち上がった「たまプラ一座“まちなかパフォーマンス”」()というプロジェクトの第5弾企画 で、これまでにもたまプラーザ駅前で「フラッシュモブ」なんかをやったりして住民を楽しませている。プロジェクト名にあるとおり、パフォーマンスすることを軸足にしているので、人によっては敷居の高さを感じられるかもしれないが、ホームページに明記しているようにコンセプトには「育ちあい」を掲げ、誰でも参加できる所が興味深い。

そう、長屋感覚とか団地イズムなんて言葉を使ったけど、要はご近所さんとのつながりでお互いが「育ちあう」という感性はいつの時代にも大切にしておきたいし、そう感じている人が出てきたんだなぁ、と思うと何だかやはり地元が誇らしく思えてくるのだ。

ちなみにその宣伝用のフライヤーにも「育ちあい」についての熱い思いが記されていたが、このプロジェクトの協力団体として、「いずみ文庫」という文字があって、こちらも見逃せない!団地の集会所にあった母親たちがやってた児童図書館みたいなものと記憶している。超懐かしい~。「機関車」といえば「トーマス」ではなく「やえもん」だった小1になるかならないかくらいの頃の話。これはまた別の機会に~。

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ABOUT ME
和田 良太
わだりょうた(GMTエディター&ライター(GMT=地元))横浜市青葉区在住50年。22年の雑誌編集・Web編集の経験を地元に還元すべく編集・執筆などをサポート。地元の成長・発展・紆余曲折ぶり諸々を体感している事情通ゆえ、地元の未来についても関心高め。 また、このエリア育ちのロック偏差値が実は高い(持論!)ことにも注目している音楽好きでもある。